防犯するにも意味が違う

盗撮問題について

監視カメラは時として犯罪を抑止する上で役立つことになりますが、プライバシーに差し障るのではないだろうかとも考えられています。私的空間・時間の撮影をする事はそれだけ撮影された当人の心をひどく傷つけることになります。ですが現代ではカメラに当然のようにカメラ機能が搭載されているため、中には自分の気づかないところで撮影されている事件も問題となっています。いわゆる『盗撮』という犯罪についてですが、この盗撮について悩まされている人も多いと思います。最近では書店などで売られている雑誌に掲載されている内容を勝手に撮影している『デジタル万引き』というものもありますが、ある弁護士からすればコピー自体に違法性はないから罪には問われないと述べる人もいる。盗撮という問題については言及して行くと、実際にテレビの業界では頻繁に行われている行為だといえるが、それは民間の考え方には当てはまらない世界となっている。

身分を隠しての取材、公共の場で夏を象徴するように使用されることになる不特定多数の人の画像がテレビで流れるなど、ニュースなどで用いられている撮影された内容については、公益性を考慮した上で問題ないとする考え方もあります。盗撮であることに代わりはないのですが、使用用途によって線引きされることになるということでしょうか。ですがこうしたテレビ界の常識など当然ですが、普段の日常生活では通じるはずもありません。見ず知らずの第三者が勝手に撮影されるようなことになったら、当然ですが不快な気分になる。誰でも経験したことがあるのではないだろうか、大半がそうして手に入れた画像や映像を良からぬ事に使用する、といった展開になるわけだ。盗撮をされて嬉しい人など、女性はもちろんだが快感だと感じる人間はほとんどいないと見て良いだろう。

肖像権の取り扱いの厳格化

盗撮問題が顕著に出てくると、世間でも動きは出てくることになるが中でもテレビの世界には大きく影響を及ぼしている。特に民間の、メディアに出て活躍していない一般人を対象とした番組が一時期盛り上がりを見せていた時期もありましたが、最近ではすっかりと下火状態になっている。それはこの国で肖像権に対しての見方・扱い方などが急激に変化し、一つ扱いを間違えてしまうとそれだけでプライバシーの侵害と見なされてしまうからだ。

代表的な事件として民間の人を許可なく撮影した事件として『街の人肖像権侵害事件』がある。この事件ではとある女性が銀座を歩いている時に、被告となる企業が無許可で撮影されてしまい、しかもそれが顔などがある程度把握出来てしまう、ぼかしなどの処理が施されていないものだったのです。それを運営しているサイトにアップしてファッションについて紹介をしてしまったことで、どうなるかについては言うまでもないだろう。

たちまち一般人にしては堂々としていると見なされてしまい、瞬く間にその画像は電子世界へと拡散されてしまった。すると各掲示板や個別で開設しているサイトなどで言われようのない誹謗中傷を受けることになってしまったのです。原告となる当事者もまさかそんなことが起こっているなど知らなかったんだろう。友人からネットの世界で自らの写真がばら撒かれていていることを知ることになった。真っ先に企業に苦情を入れて元の画像を削除してもらうことになったが、時すでに遅くコピーされた画像は各地で誹謗中傷の嵐を受けるようになったため、やむなく告訴することとなり、結果肖像権を侵害していると認めて慰謝料の支払いを命じる決断を下すこととなる。

この訴訟で問題となったのは撮影された内容が、被写体となる女性の顔がはっきりと理解出来るという点ですが、それは本人に許可をとっていない点が加味されてこの判決を下されることとなった。この事件ではどう考えても企業側に明らかな非を認めなくてはならないということがはっきりしているため、弁明の余地はないだろう。

公益性が感じられるかどうか

盗撮かどうかを議論する上ではやはり公益性の有無が焦点となる。そういう意味では必ずしも本人に気付かれないように撮影しているからといって盗撮である、そう断罪することはできないのです。だが裁判などの場で証拠品の一種として提出された写真などが盗撮であることが判明した場合、『違法収集排除法則』という刑事訴訟上の法理に従って証拠能力そのものが否定されることとなる。

とはいえ盗撮が基本何処でも認められるわけではないのに変わりはありませんが、ある方法については盗撮としてみるべきではないのではとする見方も存在します。具体的にこちらもメディア関連となりますが、ドキュメンタリー映画などでその実態を撮影することに成功するなどについては公益性があると見なす見方もある。軍事政権や、閉鎖的な国の現状を撮影、といった場所には公にカメラが侵入することが認められていないのが基本となっている。

もしも盗撮は全てにおいて罰するべきものであると見なされるようなことになれば、ドキュメンタリー映画そのものが成り立たないという考え方もある。映画として使用する上で盗撮をしなければ知ることも出来ない事実もある、そもそもドキュメンタリー映画でそのことを追求するのはお門違いだと、そんなことを述べている人もいるといいます。この問題に関しては程度の問題ではないだろうか、撮影された内容が確かに事実に基づいているのであれば問題ないが、映像に人為的な工夫を施したヤラセが確認されるようであれば、そこに公益性を見出すことはできないだろう。この問題については今後も議論を重ねていかなければならないところは多々あるが、何もその全てを盗撮と見なす考え方は間違っているといえるかもしれない。

監視カメラから考える盗撮問題について